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旭川市民劇場
旭川市民劇場とは2012年上演作品・過去の上演作品入会のご案内事務局
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第回 [PR](2017.07.22)


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第11回 梅村博美さんインタビュー(2013.07.16)





2013年6月例会「オペラ ネズミの涙」オペラシアターこんにゃく座 梅村博美さんへのインタビュー。

旅の一座・こんにゃく座
梅村博美さん   こんにゃく座さんは2008年の「まげもん―MAGAIMON―」から、旭川市民劇場では二度目の公演になります。
 地方に来るときはすごく楽しくって、「ここは何が名産なの?」と聞きながら旅をしています。
 一座がどこからバスを押してやって来たかを言うシーンがありますが、今回は着いてすぐ、搬入口のところに常磐公園が見えたので「常磐公園から出発したことにしよう!」と決まりました。ツアーが苫小牧でスタートしたので、苫小牧の公演では「川崎のこんにゃく座からずっとバスを押して来て疲れたよ」と言いました。ネズミにとっては一生かかるような旅ですね。
   こんにゃく座の演目の多くは「オペラ」ですね。「オペラ」というと豪華で壮麗な歌劇のイメージがわくのですが…
 オペラ・セリア(伝統的なオペラ)、グランド・オペラ(オーケストラの付く大規模な歌劇)の場合は台詞もすべて歌だったりするんですけど、オペラ・ブッファ(喜劇的オペラ)だと、「魔笛」のように台詞が多いものもあります。
 こんにゃく座の芝居では、作曲家が「ここは特別に際立たせて伝えたい」「ここはどうしても歌にしたい」と思った場合に、その部分を歌にしていく。ミュージカルなどでは、ナンバー(歌)の部分は歌って踊って賑々しく、ということになると思うんですけれど、オペラではストーリーが進んで行く中で必要な部分がアリア(詠唱)になっていくんですね。
   オペラを日本語で歌うというのは、どんなことなのでしょうか。
 たとえば、イタリア語のオペラだと、音楽と台詞の関係で言うと、イタリア語の歌詞のイントネーションに合わせて曲がつけられていますよね。日本で言えば歌舞伎や能がそうです、台詞の抑揚にうまく合わせて曲がつけられている。こんにゃく座が生まれる前の日本のオペラは、ドイツやイタリアからオペラの楽曲を持って来て、その言葉を翻訳して台詞を付けていたんですね。なので、どうしても音と言葉の繋がりに無理が出てくるんです。
 私は、オペラの訳詞は作曲家が行うのがいちばんいいのではないかと思います。こんにゃく座の「魔笛」は、去年亡くなった舞台監督の林光さんが歌詞を付けているので、メロディーと言葉の関係がすごく自然です。林さんはこんにゃく座の「あまんじゃくとうりこひめ」の取材でいらして、一回聴いただけで「自分をここに入らせてくれ」とおっしゃって、こんにゃく座にお入りになったという方です。

 もう一つ日本語オペラの難しさとして、日本語にはイントネーションがそんなに無いんです。怒ったり、感情が剥き出しになっていけばいくほど、表現が全体に強い棒状になっていく。海外だと、そういう強い感情の中での言葉にも抑揚や起伏がある。きっとそこからオペラが生まれたのだと思います。
 棒状ではなかなか客席には届かないんです。日本語のもつ特徴をよく理解して曲を作れる作曲家があってこそ、客席のいちばん後ろまで声を届けることが出来るんです。

 この作品でも、登場人物が死んだり戦いがあったり、激しい場面が多いのですけど、その中で、しゃべっていたところから歌に移っていく部分がある。台詞から歌へ入ったときに声が変わってしまうと、お客さんは「えっ?」と思ってしまう。
 なので、私の場合は、地声のままで行くんです。ふつう女性の場合だと、五線紙の上から3番目の線のシの音のあたりに、地声と頭声がチェンジするところがあって、どうしても裏声が必要になってくる。そこを、なるべく裏声でなく、地声で上のほうの音程まで持って行くんです。これはかなりきついですし、舞台の上でいきなり出来るものではないですから、一ヶ月なら一ヶ月かけて、稽古の中で作って行くんですね。
 これはちょっと××なお話なんですけど、こんにゃく座の作曲家、林さんも萩さんも、すごく筆が速い!という方ではない。曲が全部仕上がるのが、本番の一週間前とか三日前だったりする。だから「そういう練習が必要なんだから、もっと早くに渡して!」と、いつもお願いしています(笑い)。
 体と声と感情と台詞を繋げるということを、稽古で行うんです。本番では、役になりきったつもりで出来るようにしないといけない。だから、お芝居というのはすごく手間と時間のかかるものなんです。


初めて観たときは「魔法だ!」と思った
梅村博美さん   こんにゃく座の名前は「こんにゃく体操」という体操が由来になっているそうですね。
 こんにゃく体操というのは、もともとは自分の体を知るための体操なんです。文学座さんも練習の中でこんにゃく体操を使っています。歌でもお芝居でも、自分の体のくせが分かっていれば、じゃあここを弛めればいいな、と自分で対処することが出来る。
 これは私の持論なんですが、お芝居っていうのは、体を締めていく部分が多いんですよ。だけど、締めていくと声は出なくなってしまう。オペラで、お客さまによく聞こえる、自分のよい状態の声を出すには、体を広げて開いていかなきゃならない。
 私たちにはマイクもないし拡声器もないですから、体で拡声するしかない。そのためには、横隔膜を前に出す。横隔膜の出し方も、かために台詞を歌うのか、やわらかめに歌うのかで、横隔膜の使い方も変わって来る。その中で、感情の状態と、体の状態とを、うまくフィットするようにしていかなきゃならない。こんにゃく体操という肉体の訓練法があったから出来ていると思います。
   現在も稽古でこんにゃく体操を使っているのですか。
 はい。こんにゃく体操には何十種類も動きがあって、私たちはそれぞれ自分の体に合わせたプログラムを持っています。それ以外にも、みんなでこんにゃく体操をやる時間というのもあります。
 こんにゃく体操がほかの体操と違うのは、声を出しながらやるというところ。体が締まっていると、声も締まった声が出てしまう。声を出すことで、体の状態を耳で確認しながら、締まったところをゆるめる、ということをやっていくんです。

 東京芸術大学の宮川睦子先生という体操の先生が、声楽科の生徒たちがコチコチになって歌うのを見て「それじゃ声は飛ばない!」と、体から脱力するための体操をお作りになった。それがやがてゼミになり、そのゼミを卒業するメンバーで、最初「オペラ小劇場こんにゃく座」という名前で劇団を立ち上げたんです。
 当時は、オペラというのは舶来のもので、きっと高尚なものなんだろうという先入観がありました。そこで、お客さんとしてターゲットにしたのが、なんの知識も偏見もない子どもたち。小学生の芸術鑑賞教室に持って行ったんです。
 そうすると、子どもたちは素直ですから、楽しかったらのってくれるし、楽しくなかったら騒ぎ出しちゃう。そこから、子どもたち一人一人に届くように、という舞台の作り方になったんです。

 実は、私自身も、学校公演に来たこんにゃく座の舞台を観て、こんにゃく座に入ったんです。
 当時通っていた松本の中学校にこんにゃく座がやって来て、初めて観たときは「魔法だ!」と思いました。舞台を観ていて「今、あの人は私に語りかけた!」と感じたんです。それが何なのかは、わかりません。だけど、今まで芸術鑑賞教室で観た舞台とは全然違う世界だと感じた。
 市民劇場や演鑑にいらしている皆さんは生の良さというのを知ってらっしゃると思いますが、生の声で語りかけられると、観る人にまっすぐに届きますよね。やっぱりそこなんです。予め作られたものじゃなくって、その場所の中で出来て行く。タイミングや緩急、作り手と受け手によって、同じお芝居なんだけれど毎回違うものになる。それが面白いんですよね。


天竺一座の肝っ玉おっ母
   「ネズミの涙」は、民族衣装風の衣裳をはじめ、アートワークが華やかでかわいらしいですね。
 専従の制作の方に、美術系の方が多いんです。舞台装置のバスが出来上がって来たときも、プランした方は「うん、今回私は正しいことをした」とおっしゃっていました。まだ若い女性だったんですが、初演の半年後くらいに癌で亡くなってしまいました。
 衣裳の方も、色々なお芝居や大阪のユニバーサルスタジオジャパンのパレードなどを手がけている方で、とてもアイディアが豊富な方なんですよ。サムルノリはもともと朝鮮半島の音楽なので、それを意識なさってか、チマチョゴリのようなデザインになっています。
 韓国のおばちゃんのことをアジュマというんですが、おっ母も毛糸の帽子の上にアジュマのようなくりくりのパーマ、その上にネズミの耳、という形。これ、頭がむっっっちゃくちゃ暑いんです。頭が熱くなると、どんなに集中するつもりでも、何も考えられなくなっちゃうんですよね。なので、そういう時は秘策として、中に冷えピタを貼って、水を入れるとひんやりするタオルを入れたりして。
 何せ、怪我をしないように頭をクリアにしていないといけない。知らないうちに黒いアザがあちこち出来たりするんです。バスの上に乗ったままの場面や、バスをぐるぐる動かす場面がありますから、落ちるんじゃないか?轢かれるんじゃないか?といつもヒヤヒヤします。役者としては「集中せざるを得ない」という状況は憧れますけどね(笑い)。
   舞台装置のバスは、小さなネズミたちが身を寄せ合って暮らしている雰囲気がとてもよく伝わります。
 あれは、おもちゃのブリキのバスを、ネズミたちがずっと押して旅しているという設定です。実際には、ボディは木で出来ているんですよ。
 初演のときに、初めて稽古場に運び込まれたときはみんな「えーっ!」って驚いて。とても嬉しかったですね。こんにゃく座が所有しているトラックが二台あるんですが、このバスがこんにゃく座の三台目!という感じで、みんなで「おー」って出たり入ったりして喜んでいました。おっ母が色々中を飾り付けしているというつもりで、はぎれを繋ぎ合わせたカーテンを縫い付けたり、すごく凝ってるんです。



 鄭さんは、お客さんが目で見てすぐわかる、それでいてひと工夫されているものを使いたいというふうに思ってらっしゃるから、小道具が多めになります。だから、舞台袖はいつも大変なことになっています。
 ミルクの空きカップの洗濯カゴ、あれは久寿田さんという方が作ったから「スジャータ」じゃなく「クジャータ」と書いてあるんですが(笑い)、ああいう小道具がたくさんあると、にぎやかで楽しいですよね。「ネズミの世界だとこの品物はどのくらいの大きさだろう?」って考えながら作るものですから、よけいに。

 たとえば、一幕の最後、おっ母が息子を亡くして号泣しているんだけれど、二幕が開いたときには「後日」の場面になっていなくちゃいけない。幕間の時間だけでは切り換えが難しくて、ふと「そうだ、ものを食べていることにしよう」と思いついた。そこで演出家とやりとりをして、ひまわりの種の小道具が出来上がって来た。
 そんなふうに、稽古の中からどんどん小道具が増えて行くんです。
   天竺一座の座長はおっ母なのでしょうか?
 おっ母ですね。家長はお父ちゃん、座長はおっ母。
 ブレヒトの「肝っ玉おっ母とその子どもたち」という戯曲が下地にあるんですが、「肝っ玉おっ母」には、お父ちゃんというのは登場しないんですよね。そこが、非常に違う点でしょうか。おっ母のキャラクターの作り方も、お父ちゃんがいるから、わがままを言えたりする。戦火の中で、身も世もなく嘆いたり、辛いときに辛いと言ったり、八つ当たりしたり(笑い)、お父ちゃんがいなかったらあんな風には出来ませんよね。
 鄭さんが私に対する当て書きのように書いてくれている部分もあるので、もしかしたら鄭さんには、私はこんな風に思われているのかな。でも、おっ母のべらんめぇ調の言葉使いが抜けないままで家で喋ったりすると、「どうしたの?怖いんだけど…」と言われたりします。
   それはどなたから?
 主人です。まだ結婚して一年ちょびっとで、新婚なんです!
 旅ばっかりでなかなか一緒にいられなくて寂しいなと思ってるところに、帰って来た私がべらんめぇ調で喋るから「今は何の役をやっているの?」と思われるのかも。
   ごちそうさまです。本日はどうもありがとうございました。


(取材:2013年6月19日旭川市公会堂 インタビュー構成:淺井)


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