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第回 [PR](2025.04.02)
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第10回 石母田史朗さん・小林さやかさんインタビュー(2013.05.12)
2013年4月例会「つちのこ」青年座 石母田史朗さん・小林さやかさんへのインタビュー。
つちのこ
───
公会堂は4月にリニューアルしたばかりで、市民劇場では今回がこのホールでのはじめての上演となりました。いかがでしょうか。
石母田
大きさも、声の通りもいいと思います。音がわんわん響いたりするかなと思ったんですが、通っている感じがします。交流会でも、どなたも音がすごくよく聞こえたとおっしゃっていたので、音響のいいホールだと思います。前の会場(文化会館大ホール)では聞こえづらいということもあったみたいなので…。
僕らのこの芝居は初演が青年座劇場で、自分たちの小さい劇場で始めた作品なので、最初はその劇場の感覚なんです。そこから、行った先行った先で色々な会場に合わせてやっていくんですけど、やっぱり全体がキュッと集中している劇場だとやりやすいです。
───
小林さんは札幌ご出身ですが、今回が初の凱旋公演ということで。
小林
そうなんです。九州も四国も色んな所に言ったんですけど、北海道だけ来たことがなかったんです。
───
石母田さんは、昨年の「闇に咲く花」牛木健太郎役が鮮烈に記憶に残っています。前回も今回も、純粋な好青年の役という印象ですが、悪役もなさったりするのでしょうか。
石母田
「闇に咲く花」でほかのところのインタビューにお答えしたときに「悪役もやってみたい」というお話をしたんですけど、たまたま去年の11月に「タカラレ六郎の仇討ち」という芝居をやって、それが悪役…というか
小林
仇役。
石母田
そう、仇役。主人公たちから「あいつをやっつけよう」と標的にされる悪者の役だったんですね。二世のお坊ちゃんというかボンボンで、人に対して強気で高圧的にいく感じの人物。そういう役は、初めてと言えば初めてでした。
自分のメインが純粋でさわやかな部分だとは思わないし、僕にも、悪役が抱えているようなわがままなところもや腹黒いところもありますし(笑い)、成功するかどうかということは別としても、今までやったことのないことをやるっていうのは、すごく楽しいです。
小林
新鮮でしたよね。
───
小林さんの清香役は、大胆に人を操るのだけれど、傷ついてナイーブでもあります。
小林
意外と、清純派や大人しい役ばかりと見られがちですが、結構やんちゃな役もやったりしています。清らかなイメ-ジの役としては、「イーハトーボの劇列車」でいただいた宮澤賢治の妹とし子の役が心に残っています。人生で、いちばん嬉しかった役でした。忘れられない作品です。
吹き替えなどでは、声がふだんと全然違うらしくて、黒人の役をやったときには「あれ、あなただったの?」と知り合いにも全然気づいてもらえなかったりしました(笑い)。
金塊のナゾ
───
金の延べ棒の持ち主であった「先生」というのは、一体何者なのでしょうか。
石母田
政治がらみの、いわゆる裏金…(小林さんに)そうですよね?
たとえば、当時は田中角栄が首相ですから、田中角栄の裏金ですとかね。岐阜県の山奥にいきなりそんなものが、しかもあんなタンスの中に(笑い)。確かに、あんなところに隠すとは誰も思いませんよね。
───
あのアタッシュケースは、実際は重くないのですよね…?
石母田
そうです。役者さんや劇団によっては、劇中で「重いもの」として登場する小道具を、実際に重たくなるように作ったりもするそうですよ。
今回の「金塊」だと、実際の重さというのはほかの物では再現出来ないんだそうです。あのぐらいのアタッシュケースいっぱいにあるとしたら、150kgくらいの重さになる。だから、本当は到底持てるものじゃないし、あのタンスも壊れちゃうんじゃないかな。
女性の清香にはおよそ扱える重さじゃない。だからあれは、火事場の馬鹿力ですよ!(笑い)
───
小道具ということでは、金の延べ棒の「輝き」がみごとでした。あれはどんな仕掛けが…?
石母田
聞きたいですか?(笑い)
あれは、僕が蓋を開けるときに、こうやって手を添えつつパチッとスイッチを入れているんです。
一度、たまたまスイッチがONになったまま舞台に上がってしまったことがあって、「あれ、確かこっち側がONだよな?」と一瞬戸惑ったんです。ONの側に白い丸がついてるんで「こっちでいいんだよな?」と思いながらも、もし電気が点いてない状態で開けてしまったらマズイじゃないですか。開けた瞬間にパチッっと電気が点くのも、恥ずかしいですから。稽古でも一度、開ける前に点けるのを忘れたりして。舞台では、本当に何が起こるかわからないですね。
本物の金はもちろんあんなふうには光りませんから、あの輝きというのは、金の延べ棒を前にした人の心に見えている光なのかもしれないです。
「身の丈に合った生き方」とは
───
登場人物の話す岐阜弁はどのようにして覚えられたのですか。
石母田
初演のときに、方言指導の二人の先生に来ていただき、CDに吹き込んでもらったものを聴いて覚えました。あとは、稽古のときに指導していただきましたね。
名古屋に近いほうの岐阜弁と、石川のほうに近い岐阜弁などがあって、方言指導のお二人も地域が違うので微妙に異なっていましたね。名古屋弁は表現が強いですから、そちらに影響されやすいのかもしれません。関西のイントネーションとは違う、というのがとくに難しかったですね。
小林
下手すると関西弁になっちゃう。
石母田
関西弁はテレビなどでも耳にする機会が多いから、意識しないとなんとなく影響されてしまうんだと思います。僕は東京出身で、自分のもともとの方言がないから、特に影響されやすいかもしれない。
僕の妻は福井の小浜の出身なんですけど、妻が小浜弁をしゃべると、僕のしゃべる言葉もなんかそっちに行っちゃうんですよね(笑い)。
小林
あ、私もときどき、清香の台詞が訛ることがあります。「~ですよねぇ(『ね』の音にアクセント)」って、引っぱられちゃう。
石母田
でも実際、あるんじゃないかな。東京の人が地方にポンと行ったら。
───
五作おじいちゃんが作中で「身の丈に合った生き方」ということに触れます。
石母田さん・小林さんにとっての「身の丈に合った生き方」というのはどんなものだと思われますか?
石母田
おお。(笑い)
小林
あまりそういうことを考えない職業に就いてしまったから…(笑い)、なんだろうね?身の丈って。
石母田
たとえば、僕は俳優だから、身の丈に合ったことをするには「演出家にならない」とか。「脚本は書かない」とか。やっぱり、自分に合った生き方が、自分の身の丈に合った生き方、ということなんじゃないですかね。
僕が俳優になったのは、小学校六年生のときにお芝居をやったときに楽しかった、という実感が始まりです。なにかを見て「あれをやりたい」というのではなくて、自分の体験が原動力でしたね。大学に行こうとも思ったんですが、大学から断られてしまったので(笑い)大学ではなくお芝居で頑張ってみよう、と思ったんです。
僕らがサラリーマンじゃなくて俳優になったということは、それは自分の身の丈に合ったことというか、普通なことだったと思うんです。真一には、都会で頑張るか田舎に帰るかとか、いくつも選択肢があったんだと思います。そういうときに「自分の身の丈に合った生き方ってなんだろう?」って選ぶことは難しかったんじゃないかと思いますね。おじいちゃんは自分の境地から「身の丈」について説いていますけれど、そういう点では、おじいちゃんは案外…
小林
一通りの生き方しかなかったかもしれないね。
私は、札幌でバレエを習っていてミュージカルなどに興味があったんです。文学座の研究所に入って、気づいたら今のような仕事をしていました。
石母田
「身の丈」っていうのは自分で「ここまで」って決めて、これ以上は行かないって制限しちゃうことですから、あまり考えないかもしれないですね。
小林
そうですね、決めちゃうと「限界」になっちゃいますからね。
───
本日はどうもありがとうございました。
(取材:2013年4月10日旭川市公会堂 インタビュー構成:淺井)
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