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旭川市民劇場
旭川市民劇場とは2012年上演作品・過去の上演作品入会のご案内事務局
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第回 [PR](2017.09.23)


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第9回 松橋登さんインタビュー(2012.11.28)




2012年11月例会「十二人の怒れる男たち」松橋登さんへのインタビュー。

北海道・四季時代の思い出
松橋登さん───松橋さんは北海道に訪れたことはおありでしたか。

 僕、父の仕事の関係で生まれてまもなく美唄に来まして、2才になるころから3才くらいまでの2年か3年の間、北海道に住んでいたんです。
 ちょうど物心ついたころで、家のこともよく覚えてます。
 家の前に川が流れて、後ろがちょっと小山になっていて、冬になると雪が積もってそこで、本当に短いスロープでしたけどスキーを…、僕はちょっと足が悪かったので見ていたんですけど、その短いスロープで、家の大人たちが大人げなく(笑い)はしゃいでいたのを今でも覚えています。
 ですから、雪が軒下くらいまで積もっている風景も、ぼんやりと覚えています。

 だから、雪を見ると懐かしい感じ。でも、実に大変ですよね、この雪の中で生活していく毎日というのは。
 「北国の春」という歌もありますけれど、あの気持ちがよくわかりますよね。ああ、どんなに待ち遠しかっただろうな、という気がしますね。

───今は東京は高円寺にお住まいなんですよね。今回は旅公演ですが、ご自宅で過ごすときは。

 高円寺には、20年近く一人で住んでいます。
 僕は、劇団に所属していたとき、22才から25~6才までは毎日芝居をしてましたけど、劇団をやめて事務所に属したりフリーになってからはそんなに忙しくはしていないんです。不況ですし、年もありますから。ただ、一年に一回は必ず舞台に立とう、舞台に立ちたい、という願いが叶っているので、ありがたいことだなと思っています。

───最初は、劇団四季でデビューされたのですよね。

 劇団四季の研究所でした。僕、劇団員になる寸前にやめてしまったんで。
 研究所に入った年の終わりくらいに、浅利さん(劇団四季演出家の浅利慶太さん)が「今度お前が主役で日生劇場背負ってもらうから」と。とにかく、新鮮なキャラクターで、一応二枚目で(笑い)、心の清らかな…「何たってキリストがモデルの役だからな(ドストエフスキー原作「白痴」のムイシキン公爵)」と言われて。
 「僕はそんなの出来る実力はないと思います」「いいんだ、俺は一年間お前のことを見ていて、なんとなくわかってるから、やらせる」と稽古場に送られて、それがおかげさまで好評で。
 その時は、四季はまったく演鑑での公演が無かったんです。全国を手打ちで回り、南は鹿児島から、北海道の旭川にも来ました。もう45年くらい前ですね。
───デビューしたころは爆発的な人気になった、と伺っています。

 自分でも不思議でしたけど、ちょうど劇団が若い人材を育てようとしていたところに僕がうまく乗ったのかなと思います。先輩たちは10才くらい年上で、若い世代とその間を埋める人材がいなかったんです。
 僕だとか、今は大学教授になった浜畑賢吉さん、今は大女優になられてしまった三田和代さんとか。三田さんは先輩ですが、今でもよく当時の苦労話をしながら飲んだりします。
───当時は本当に大変な熱狂で、ポスターは貼っても貼っても剥がされたとか。

 僕は実際よくは知らないんですけれどね。劇場をとりまく人だかりが出来たとか、僕が終演後にお客さんと会う「謁見の間」が出来た、だとか、噂は色々ありましたね。皆さん、面白がって色んなこと書いて下さいました。(笑い)

───強烈に押し出された華々しいスタートでしたが、ご自身ではどうお感じでしたか。

 僕は、自分自身から進んで役者になりたいと思ったことがなくて、もともと大学二年のときに友達から「人数が足りないから手伝ってくれ」と声をかけられて「なんだか面白そうだな」と始めたのがきっかけだったんです。やってみたら好評だったので、周りから「続けた方がいいよ」と言われて、それからずるずる来てしまったもので。
 自分で「これで何とかしなきゃいけない」ということとか、「きちっと芝居をやりたい」と、どの時点で思ったのか、覚えていないんです。もしかしたら、思わなかったのかもしれない。それでも、おかげさまでずっとやって来て、未だにこの年で、こんな大役をやらせてもらって、ありがたいことだと思います。

「陪審員8号」という男
松橋登さん───今回の8号の役は…(インタビュアーが言い終わらないうちに)

 台詞が多いです!!
 一番台詞が多い、しかも台詞の内容は論理論理…実によく喋りますよね。
───松橋さんは、1988年の公演では5号の役を演じたんですよね。

 そうなんですよ、僕ね。
 その時の公演では、8号はもう亡くなられた峰岸徹さんがおやりになった。翻訳者も違いますから、脚本も全然違う。
 今回自分が8号をやって、毎回始まる前は「全部パーフェクトに」と思うんですけどね(笑い)、あれだけの量の台詞を喋るとなると、ちょっとどこかで疲労が来ると「あっ!」となる時があります。

 よく、外国の名画を舞台にしたり、あるいは向こうの舞台を映画にしたりしますよね。
 たとえば「風とともに去りぬ」だとか「マディソン郡の橋」だとか、そういう作品が舞台化されて上演されることになると「元の作品があんなに良かったのに、舞台がそれを超えるほどによくなるわけないじゃないか、原作の俳優さんがあんなに名演なさってるのに」と思っちゃうんです。
 だから、自分は絶対そういう危ない橋は渡りたくない、と思っていた。(笑い)
 5号をやった時は、まだ若かったし子どもでしたけれど、8号のお話をいただいたときは、年も重ねて、そういう分別がついていましたので「これは危険だ」と思ったんです。
 けど、「どの役ですか」と訊いたら「8号の役です」と言われて、「やります!」と即答してしまった。それほど、映画のヘンリー・フォンダが素敵だった。出来るわけないけれど、やります、と言ってしまったんです。
 あれ、「役者っていやしいんだな」って実感しましたね。

 でも、あの格好よさじゃない格好よさを、僕は求められたような気がするんです。
 ヒーローじゃなくて、単純に疑問を持った男。その男が、冷静に物事を考えて行く、その姿勢の格好よさが8号から立ち上がればいいなと。そこに気がついたとき、楽になったというか…
 楽になったと同時に、改めて非常に難しい役だなというふうに感じましたね。

───映画はヘンリー・フォンダ演じる8号が、ほかの11人の反対者を覆していく、という感じが強いですね。

 全員がバッと変わって行くという爽快感があるんですよね。水戸黄門が喜ばれていた時代でしたし。
 ただ、「最後のところをもっと丁寧にやってみよう」とプロデューサーさんや演出家さんとお話したんです。
 8号は理詰めでずっと行っていたけれど、所詮は人間の論理。見たわけではないんだから、そもそもはじめから、8号には真実はわかっていない。論理をどう煮詰めて行っても、結局実際に見たわけではない、実際に現場にいたわけではないんだから、真実がわかるわけがない。
 だから、あの場面で、そこのところをもっとはっきりと伝えるような演じ方をしたらいいんじゃないか、と。
 最初は「ナイフを取って、さっと見て、引っ込む」くらいでいい、ということだったんですけれど、僕は少し粘っこく、より深く謙虚に「本当に自分の論理は正しかったのかな」という不安を持って引っ込むことにしたんです。そうしたら、観た方が、そこがすごく新鮮だったと言って下さった。
 ああ、これはもしかしたら、レジナルド・ローズはこういう先のことも見据えていたのかな、ともね。

 押しつけちゃいけないんですけどね、何事も。
 さりげなく、ふっと…その中で「良かった」というだけじゃなく、観客が自分自身を、自分の思考を、ふだん当たり前だと思っていることを、見つめ直すようなものにしたい。それが最大のテーマなのだと思います。

英雄(ヒーロー)はいない
松橋登さん───上演後のロビーにいた会員さんも、パアッと心地良く高揚して劇場を出る…というのではなく、芝居の内容を振り返り、または自分に置き換えて考えて「うーん」となっている方が、たくさんいました。

 今は、映画でも芝居でも、なんとなく涙を流すことが感動に繋がっている。
 もちろんそれも大事なんですけれど、僕はラストの三木さん(3号役)のセリフ、それに対する8号と4号のセリフ、それをずっと聞いていて、ふと、何の立場からなのかはよくわからないんですけど「襟を正す」気持ちになる時があるんです。
 自分がやっているのに、変な感じなんですけど。
───多くの人は8号の目線で物語を見るようでした。

 色々な見方の方がいますね。自分にいちばん近い立場の人の目線から、それぞれご覧になるんだと思います。
 でも、8号はあれだけ喋っていますからね。僕、自分(8号)が少し消えたいなと思うときは、後ろのほうに立って腕組みしているんですけれど、それでもやっぱり8号の思考が全体を支配しているっていうことは確かに思います。
 あくまで冷静に、論理的に、ほかの11人が自発的に考えて行くように仕向けていく。では、それを具体的にどう演じたらいいのか、ということなんですが…本当、難しい役ですね。
───8号の言っていることというのは、「何が真実か」「何が正しいか」ということではなく、11人の人たちが「正しい」と思っている何かしらの真実・正しさというものを疑って「実はそれってもっとあやふやなものなんじゃない?」と、あやふやなところに少しずつ引っ張って戻していく、事態をひっくり返して勝利するというよりは、すべてを「あやふやな場所」に引きずり出す、という人ですよね。

 そうです。「合理的な疑い」があるということを思い出させる、という役割ですね。
 ああいう裁判で、弁護士が無能で、時間がどうも合わないだとかナイフのことだとか、考えてみて、ちょっとでも不思議だと思ったら疑う。合理的な疑いがあるなら、有罪とは言えない。その時代のアメリカのニューヨーク州の裁判ですね。
 聞いた話なのですが、銃殺刑というのでは、向こうに死刑囚を立たせて、誰の銃に弾が入っているのか教えないままみんなで銃を撃つということをするんだそうです。みんな、自分の弾倉は空だったと思える。そういう気楽さというか、クッションになる措置がある。やっぱり人間というのは、誰かを殺したりはしたくないという思いがあるんでしょうね。……

(窓の外を1号役の大瀧寛さんが通りかかり、お互いに手を振る)
───そういえば、松橋さんも本番前によくお出かけになることがあるとか。

 その話が広まったの、たぶん2~3年前からだと思うんですけど(笑い)、当時、朗読会をやっていたんですね。
 本番まで40分くらい時間があって、小さな会場だったんですけど、何か一つ小道具が足りないなと思って、何か外で拾って来てここに置こう、と思ったんです。
 冬の季節で、内容が、死んだ人を弔う話だったので、植物だったら枯れていてもいいなと思って、枯れ木を一本拾って来たんです。たぶん、その時のことですね。
───ふだん本番前はどのように過ごしていらっしゃるのですか。

 僕は割と板付きが早くて、本番の15分前とか30分前には舞台袖に控えています。急に切り換えられない人間なので、なるべく心を落ち着けて、これから始まることの前にどんなことがあったんだろうか、と考えています。
 今は、30分前だから法廷にいるな、今は法廷で弁論を聞いているな、と。陪審員の審理を開始するナレーションを聞いて、その臨場感を持って、井上さん(5号役の井上倫宏さん)の後に着いて舞台に出ます。
 至るところに落とし穴があるんで、自分でも何をやっているかわからなくなることがあるんですよ。
 「あれ、このセリフはもう言ったっけ?」「言い方を少し変えてもう一度言っているんだっけ?」と。
 8号は、くどくど同じことを、言い方を変えて、あっちからもこっちからもぐるぐる攻めて行くでしょう。人の足を掬ったりして、なんとなくいやらしいところがある。だから、こいつの…「こいつ」なんて言っちゃいけないか(笑い)。
───「8号」ですね。8号は、冷静で論理的な一種の理想像のような役ですが、もしあの場所に陪審員として立つとしたら、松橋さんご自身は何号になると思いますか。

 そうですね…、どうだろう。
 演出家の西川さんもおっしゃっていたんですけど、8号は不思議な人間ですよね。「何だったんだろうこの男は?」というところがあります。

 僕自身が何号だろうなと思うと、12号ですね。
 もう何だかわかんなくなっちゃうと思います。自分の思考を超えちゃっていることはきっと出来ない、わからない。
 一人のヒーローじゃなくて、十二人なんですね、この芝居は。そういうことが、わかったような気がしますね。
───本日はどうもありがとうございました。


(取材:2012年11月28日旭川市民文化会館 インタビュー構成:淺井)




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