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旭川市民劇場
旭川市民劇場とは2012年上演作品・過去の上演作品入会のご案内事務局
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第回 [PR](2017.09.23)


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第8回 嵐圭史さんインタビュー(2012.10.13)




2012年9月例会「あなまどい」前進座 嵐圭史さんへのインタビュー。

あなまどい
嵐圭史さん───前進座さんの公演は2010年「出雲の阿国」以来2年ぶりですね。

 生きる旭川市民劇場の例会でうかがうのは26年ぶりです、ハハハハ。
───圭史さんは、これまでの半世紀以上のキャリアの中で、何役くらいの役をやっていらっしゃるんでしょう。

 若い頃の端役も入れると、おそらく300か400くらい。先日、芝居の芯を張るような役を数え上げなくちゃいけなくて、全部合わせると100数十役ありました。新しく出した本(2012年9月発行「今朝の露に」)にも書いたけれど、「毛抜」という芝居では、公演ごとに五役の違う役柄をやっています。

───現在は「あなまどい」で北海道へ、その後「おたふく物語」、そしてすぐにまた静岡演鑑の例会で「あなまどい」…

 その次は「赤ひげ」、そしてまた二月に大阪で「おたふく」。
───複雑な日程の中で、いろいろな芝居をするにあたって、切り替えはどのようにしているのでしょう。

 僕ら、芝居の旅を続けていると、日常のサイクルとして体の中に入っちゃっているのね。一本の芝居が終わると、翌日「昨日やってた芝居のせりふを云え」っていわれても、すらすら出てこない。どこかで切っちゃっているんだね。
 稽古が始まって次の芝居をやるとなったら、それが三日であろうと五日の稽古であろうと、思考や感覚も含めて全部が「今やっている芝居」の中に入っていく。だから、よく「これまでの芝居の中でどの役がいちばん好きですか?」と訊かれるんだけれど、僕は、その時やっている芝居が全てでね。だから「好きな役は?」と訊かれたら、いつも「今の芝居の役です」と答えます。どんな悪役でもね。
───では今回は、主役の「上遠野関蔵」ということですね。
冒頭の、若い頃の関蔵も圭史さんが演じていらっしゃるんですね。驚きました。

 あそこだけ若い俳優を出しても芝居としては成立するの。でも、お客さんにそう受け取っていただける間は演じ通したい。もし「あのおじいさん、若作りして無理して」と思われてしまったら絶対駄目。やってはいけないんです。
 芝居の前半の部分(一幕目)は、金子義広(「あなまどい」脚本)のオリジナル。原作は夫婦の再会の場面から始まっているんです。小説だとそれで感動することが出来るけれど、芝居をそこから始めてしまうと、あの臨場感、あのなんとも云えぬ二人の再会の情感は出て来ない。第一稿が上がって来たときに「これはいい芝居になるな」と思ったのはそこでしたものね。ただ、原作の、三十四年ぶりに帰って来た関蔵が茫然と佇んでいるシーン。僕は、あの描写の再現をどうしてもやりたかった。
 初演の稽古場では、作者と演出家と僕でそれこそ、取っ組み合いをしましたけどね(笑い)。だけど、そうやっていいものが出来ました。題材としては難しかったと思う。よく脚本にまとめたと思います。
 ラストもああいう展開で、実にさわやかな芝居ですよね。

呼吸には色彩がある
───文化会館大ホールは大きい劇場なので音がやや聞こえにくいのですが、台詞がとてもよく聞こえました。

 恐らくこの会場は、やたらに怒鳴ってもだめだと思う。今回の「あなまどい」で私の役が怒鳴るのはたった一箇所。
 実は舞台でも、今お話している、このくらいの声で喋っているんですよ。それでも通る、それが役者の仕事じゃないですか(笑い)。会場の設計上どうしても音が届かない場所があったりするけれど、それを除けば、1800名くらいの会場までは大丈夫だね。会場が大きいからといってオーバーに声を出す必要は全くない。

 その根本の一つは、やっぱり呼吸です。よく「滑舌」といって俳優学校の養成所なんかでも大口をあけてやっているんだけれども、あんなことやる必要はない。むしろ、呼吸。案外見過ごされているんだけれど。

 先輩の中村翫右衛門さんは「話芸を勉強しろ」としきりにおっしゃった。落語、講談、また話芸ではないけれど義太夫も。芝居は、呼吸の力で全然違ってくるんです。 呼吸が太くて深いほど、声に生命力が宿される。今回はおじいさんの役だけれど、実はお腹の運動というのは、お客さんには絶対に見えないんだけれども、十八番の歌舞伎をやるのと同じくらいやっているの。
 たとえば腹話術なんて、全く口を使わないわけだからね。今だってそんなに口を開かないで喋ったって、云っていることわかるでしょう?中はちゃんと動いているから。先輩達に「お前さん、なんでそんなに大きな口を開くんだ。品がないね」とよく云われました。また、大口を開けるということは普通の生活の中ではそんなにないわけだから、リアルじゃないよね。

 歌舞伎の世界には、大きな声を響かせながら呼吸をいっぱい使う、様式性に富んだ“時代狂言”と、究極のリアリズムと云っていいような写実的な“世話狂言”といった、二つのジャンルがあるんです。その両方が結び合ったところに歌舞伎の面白さ、凄さがあるわけです。今回のお芝居は写実、リアルなものだから、嘘っぽい芝居であってはいけない。だけども、歌舞伎での訓練というのが、どこかに生きてるわけですね。ですからそう云っていただけると、実に、わが意を得たり、というところがあります。

 もう一つ、私はよく「色彩感」という言葉を使うんですが、「色彩感」というのは、吐く息にもあるんだけれど、実は吸う息にもある。稽古場で若い連中に口をすっぱくして云うことは、吸うときの息を、みんな無意識に吸いすぎる。
 息を吸うときに、すでに感情の色っていうのはあるんですよ。息に無色透明はないわけです。
 瞬時にカッと来てものを云うとしたら、そういう息の吸い方をする。反対に、のんびりしながらしんみりと云うときには、息もそれに準じてフワッと吸う。つぎになにを云うかということに準じて、吸う息の色があるわけです。呼吸の仕方、強さも含めて。
 よく「華がある」とか「色気がある」とか云うけれど、それって本来は見えないじゃない。でも観客がそれを感じるというのは、やはり引っぱり込む力。「引っぱり込む」力が強いと、そういう匂いのような、空気のようなものが身の回りに広がって行く。その力が弱いと、ふくらんで行かないんだよね。
 マイクを使っての朗読をやっていても、呼吸がだめだと、情感が全然薄くなっちゃう。録音したものを聞き返して「ああダメだ」と思うときは大体、呼吸が浅かったり息づかいが間違っていたりします。
───役の人格にただ飛び込むだけでなく、時代があって、作者の意図があって、複数の要素があってその中に役があるんだ、とエッセイでも書いていらっしゃいましたね。

 ある場合には直感もあるし、インスピレーションもあるんだけれど、まず「見せよう」とする前に自分がどう感じるか、自分がどういうふうに捉えるか、そこをやっておかないと弱いのね。
 北林谷榮さんが、よく若い女優たちから「おばあさんの役、どうやればよいか教えて下さい」と尋ねられるそうですが、それに対して「テクニックでやろうとしたって出来るものじゃないの。ただ一つ、心に添うだけなの。」とおっしゃっていました。
 この「心に添う」というのはね、本当にそうなんです。感情もだけれど、肉体も、その人物が社会に置かれた状況、生活レベル、過去の人生も呑み込んで、それを信じて舞台に上がれば、自ずとそういうものは出てくるんですね。北林さんは名優でしたが、この言葉は本当にいい言葉だと思います。

 また、宇野重吉さんが演出をしていて、俳優に「感じりゃ出るんだよ」とおっしゃって、それを見ていた滝沢修さんが僕に「感じただけで芝居できりゃ世話ありませんねえ」とおっしゃったことがあった。未だに忘れられない。両方に真理があるんだよね。
 これは自慢話ではなく、私は舞台袖で、出番までは別なことを考えていたりしても、出る瞬間にパッとその中に入って、舞台に出たらその役に入れるんですよね。10分も前からガーッと集中して役に入ってらっしゃる役者さんもいるけれど、僕はできない。「大変だろうなあ」と思いながら見ているけれど(笑い)、役者さんはそれぞれタイプがあるから。それぞれベストであればいいと思う。絶対これがいい、ということは全くない。

 舞台は、ベストの配役で臨むのは当然ですが、その中で、上の世代を超えるような人材が若い世代から出てこないとね。自分と同じような役をやるような先輩がいて、もし仮にその人が自分よりたとえ1ミリでも演技力が上廻っているとしたら、その役は絶対にその先輩のものなんです。。
 劇団内でも、役をオーディションで決めるべきだという意見もあるんだけれど、日常がオーディションみたいなもの。どんなに小さな役であっても、たった一つの台詞であっても、そこに輝きがあれば役はついてくる。おかげさまで今、若い世代にいい子たちがたくさんいます。是非活躍を見守って下さい。

これからの劇団前進座について
嵐圭史さん───圭史さんは役者さんとしてのお仕事とともに劇団の運営、営業もなさって、大変だと思うのですが。

 去年幹事長を退いて、今は単なる平座員です。営業という言葉はあんまり好きではありませんが、観客普及の活動は今でもやっています。この間も暑い中、かばん一つ持ちながら「俺、保険の外交員かな?」と思いながらね(笑い)、テクテク歩いてましたよ。京都の町は暑かった。
 少し気が楽になって、休ませてもらえるかな、と思ったけど、まだそうは行かないね。
───吉祥寺の前進座劇場が2013年に閉鎖してしまうということで、非常に残念ですね。

 これからの劇団は次の世代が作っていくものだから、私らがあんまりしゃしゃり出てはいけないと思っています。もちろん縁の下から支えますけど。
 ただやはり、劇団の八十年の活動を支えてきたいちばんの根本は、劇団の「理念」なんですね。だから、劇団前進座というところはどういう芝居づくりを目指して、どういう意志のもとに切磋琢磨し合いながら芝居をつくって来たか、その劇団理念ということだけは、しっかりと踏まえなくてはいけない。
 現実の状況がハイテンポで激変していますから、それに対応していくには、今までには思いも及ばなかったような努力をして行かなければ、これから生きのびて行けないだろうなと思いますね。そういった、理念と現実との鬩ぎ合いがこれから続くと思います。
 十年くらい前からすでに当代として活躍している、いわゆる第三世代の藤川矢之輔や河原崎國太郎、そういったメンバーを中心にして、かれらが新たな歴史を作って行くだろうと思いますけれど、ご承知のような社会全体の厳しい状況下、今まで経験したことのないような困難を抱えている。

 三十年前に全国の皆さんの大きなご支援をいただいて建築した「前進座劇場」の閉館も、そうしたことと無関係ではないのです。
 このたびの劇場閉館については、まずは建設時の多大なご協力と、その後もずっと支えて下さった皆々様に、心からのお詫びと深い感謝を申し上げなければなりません。
 耐震構造の補修改築工事、舞台機構等々の補強工事を考えますと、やはりとてつもない予算を必要とするんですね。一口にいって、劇団本体の存続を第一に、でき得る限り身を軽くして、予測される──たとえば消費税10%など──困難を乗り切ってゆく為の、それらに備えたやむを得ぬ決断でした。
 今回出版しました拙文集のタイトルは「今朝の露に」としたんですが……。
───前進座さんの座歌のワンフレーズですね。

 北原白秋さんの作詞から拝借しました。「今朝の露」というのは日の出、太陽が昇って最初にキラッと光をあてられて、いわば命が芽吹いていく、これが露なんだろうと思うんです。初心です。初心に立ち返りつつ新たな出発をしようという、そんな思いが込められています。
 これから劇団を担って行く面々は、一生懸命歴史を歩んで行くと思います。
 是非、皆さん旭川市民劇場をはじめ、全国の鑑賞運動がさらにご発展をし、ともに新たな歴史を作らせていただきたいと思っています。よろしくお願いいたします。
───本日はどうもありがとうございました。


(取材:2012年9月21日旭川市民文化会館 インタビュー構成:淺井)




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