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旭川市民劇場
旭川市民劇場とは2012年上演作品・過去の上演作品入会のご案内事務局
旭川市民劇場@net

第回 [PR](2024.04.18)


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第1回 高野菜々さん・小林啓也さんインタビュー(前編)(2012.02.28)




2012年2月例会「シャボン玉とんだ宇宙(ソラ)までとんだ」主演・[折口佳代]役の高野菜々さんと[三浦悠介]役の小林啓也さんへのインタビュー。チーフプロデューサーである石川聖子さんも同席してくださいました。

初めての北海道×2

高野 菜々(こうの なな)
1989年広島県生まれ。2008年6月より音楽座ミュージカル/Rカンパニーに参加。
───本日はよろしくお願いします。では、定番の質問から。
高・小
はい。
───初めての北海道は、いかがですか。
高野
定番、定番(笑)。
そうですね、まず雪の多さにびっくりしました。
こんなに積もってるなんて、私、思ってなくて。
さっき、タクシーで来たんですけど、タクシーが埋まるぐらいの雪の壁…道に壁があって、運転手さんに「いつも冬ってこんななんですか?」って聞いたら「いや、いつもは壁じゃないんだけど、今ちょっと向こう側見えづらいね」なんて話になって。

私の地元は広島なんですけど、広島もけっこう雪が降るんです。
久しぶりに雪とたわむれることができて、ちょっと故郷を思い出しました。あと……食べ物が、とにかくおいしくて!
小林
きのうは「北の富士」に…
高野
行ったんだよね。ちゃんこ食べに(高野さんは行っていない)
小林
……美味いですねえ……!!
高野
なまら?(笑)
小林
なまら、美味いですねえ……!!!(しみじみと)
今まで食べた鍋の中で一番おいしいですね。
高野
行けばよかったなぁ。
小林 啓也(こばやし けいや)
1987年東京都生まれ。2010年9月より音楽座ミュージカル/Rカンパニーに参加。
小林
いや、すばらしい、もう。本当に。
僕も、北海道は……小さい頃来ていて記憶がないのかもしれないんですけど、おそらく初めて。
青森までは、親戚がいたので行ってたんですけど、北海道回るっていうのは初めてで。ウィンタースポーツが好きなので、雪のあるところに来るとやっぱ、したくなる。気持ちがグッと上がってしまうような。
───「新雪が俺を呼んでいる!」と。
小林
いやぁー。新雪、来ました。すごくスキーやりたくなってしまった。
僕けっこう寒いとこ好きなので…こういうとこに来て、
やっぱり景色がキレイだなっていうのと…
高野
うん、景色キレイ!
小林
ホテルの窓から、今日、朝起きた時に、雪がこう…空中でこう…(風をはらんでゆっくりと落ちる雪の様子を手で再現)
浮いてるんです、風がないから。もう、僕、見とれてしまって。
いやあ、やっぱりこれは東京には無いな!と思いましたね。
───寒さはどうですか?
小林
風がなければ、そんなに全然…寒くはないかなって。
慣れましたね。
高野
逆に、劇場内は東京よりあったかいですね。すごい寒さを覚悟して来たんですけど、実際はあんまり外を歩かないので…
───音楽座さんが函館に着いたときの写真を拝見しました。重装備でしたよね。
高野
みんなモコモコしてる(笑)。
小林
ヒートテック着て(笑)。
高野
藤田将範さん(宇宙人ミラ役を演)が札幌出身なんですけど、行く前に
「北海道ナメんなよ!」ってみんなに云ってて(笑)。「そんな重装備で行かなくていいんだよ!」って云ってたんですけど、来てから、ほんとにその通りだったなぁと思いました。
小林
僕も、だから基本、上着の下は半袖で。(腕をまくって見せる)
───飛行機での「見よ、あれが函館の灯だ!」というのは。
高・小
??
石川
ほら、飛行機がなかなか降りられなかったから。
(カンパニーが北海道入りした2月13日は悪天候で交通がマヒしており、カンパニーのメンバーの乗った飛行機も、滑走路の安全確保のため上空を50分ほど旋回してから函館空港に着陸した。機長のアナウンスとともに機内では拍手が起こった、とのこと。)
高野
ああ!大変でしたー!!
小林
僕たちの一本前の便に鈴木チーフプロデューサーが乗っていて、二回着陸にトライしたんですけど、結局羽田に戻ることになってしまって。で、その一本後に僕たちの機がトライして、一発で行ったんです。
それがなかったら予定が全部ずれこんで、たぶん公演自体が上手く進まなくなっていただろうなと……
高野
私、正直不安でした。もう、ジェットコースターみたいだったんですよ。
すっごい揺れるし、こう、フゥン!て急に落ちる。ところどころでキャーと声も上がったりして……。
みんなの「着いてくれないと困る!!」という気持ちが通じたのかな、と。

それで、私がいちばん感動したのは、機長さん。
操縦している人って、すごいんだなって…これだけの命を預かっていて、飛行機をちゃんと降ろさなきゃいけない。絶対、不安じゃないですか。あれだけ雪がズワーッて降って、地面も凍ってるのに。
「トライしてみます」「トライして駄目だったら帰ります」
っていうけど、何百人ものお客さんの命・自分や仲間の命がかかった、とても重大なこと。
その「トライ」という言葉に、パイロット魂のようなものを感じて、本当に感動しました。きっとすごい責任感があるんだろうな…とか色んなこと考えながら乗ってたけど、心の中では「ァヮヮヮ...」ってなって、横の人とこう。(隣の席の人と互いに手をとりあう動作)
小林
最終的にはコワい(笑)。
───本当に、無事の到着で何よりでした。今回は函館のスタートで…
小林
 函館→苫小牧→釧路→旭川 ですね。
(この後 岩見沢→江別→札幌)
───苫小牧‐釧路間は、バスで7時間~8時間。大変でしたでしょう。
小林
いやぁー…でも、……シカ見た。
高野
シカ、見た!!キツネも見れたんですよ、道中で!それと、聖子さんが…
石川
私、釧路でタンチョウと、キタキツネを見て。で、皆は見られなかったって云うんで、
今度一緒にバスに乗るから、きっと見られるよ!って云っていたら、キタキツネが迎えに来てくれて。
高野
すごかったですよ。かわいかった!ツルは来なかったんですけどね。
だからそのあと、飛んでる鳥を見るたび「きっと、あれはタンチョウだ!」とか云ってた(笑)。

ミュージカル俳優を目指すまで


───お二人が、ミュージカル俳優になろうと思ったきっかけは何でしょう。
小林
もともと僕テレビっ子で、中学のとき、最初、声優になりたいと思ったんですね。
で、声優の養成所と高校、同時に行って。
養成所でやることは、マイクに向かってっていうよりも、芝居…、先生が教えて下さるのは芝居のことだったんです。そうしたら芝居をやるほうが、自分で好きになってきてしまって。それでその後、そこをやめて、別の、ストレート(ストレートプレイ/いわば、ミュージカルでない普通の芝居)の研究所に入って。
───青年座研究所ですね。
小林
はい。で、そこをなんとか卒業し、事務所に入って、そこで初めて音楽座ミュージカルと出会って。
最初は、仕事という中でミュージカルは正直できないな、と思っていたんですけど、やっぱり踊るのが単純に好きだったし、こなしてくうちに、自分でやれないかな、やってみようかな、
と思ったところから今に至る、という感じで。
だから、本当に最初のきっかけは「あ、声優やりたいな。」だったんです。
むしろ、友達から「おまえ声デカいんだから声優やれよ!」「そ、そっか」って。
のせられちゃうタイプなんで(笑)。

その、中学の時に、文化祭で、チンピラとかヤンキーとかおとなしい子……
僕、わりとそういう友達の中で中立な立場の人間だったので、
色んなヤツを集めて「アカペラやろうよ」って云って、アカペラをやったんですね。
こう、ちょっとガッツリした奴とかコワい奴らが「♪ドゥー♪ドゥドゥドゥ」なんてやる中で、そういうところからちょっとずつちょっとずつ、舞台というか、自分が何かやるということになって行った感じですね。
───あちこちから色々な人を自分で集めて、組織にしてしまう行動力。すごいですね。
小林
僕と、本当はもう一人ボーカルがいたんですけど、当日、風邪ひいて休んでしまって。
一人で、もう、舞い上がっちゃって。
───「♪ドゥー」「♪ウー」からいきなりメインに。
小林
ああっ、どうしよう!歌詞覚えてない!!みたいな(笑)。
ポケットに手入れたまんま「♪ウー」って云ってた連中ばっかなんですよ。
そういう連中と一緒にやったっていうのが、舞台をやった初めてですかね。
───高野さんは、どんなことがこの世界に入るきっかけでしたか。
高野
歌うことや踊ることが、ちっちゃいころから大好きで。
広島市に、ミュージックシアターASAKITAという市民ミュージカルの団体があって、私の叔父が、最初に、だれにも云わずに参加してたんですよ。で、いきなり「本番あるから観に来い!」って云われて、行ったら
「おじちゃんがミュージカルしてる…!」って、私ビックリして。あの…あの真面目なおじちゃんが……!って。
でも、身近な人がそういう舞台にいるのを見て、「私も出来るんじゃないかな?」って思ったんです。で、その次の年、小学校五年生のときにASAKITAに入って。
そこで、なんだかわかんないんですけどいい役をいただいて、有頂天に…
───主役だったのですか?
高野
いえ、主役ではないんです。「友人3」という役で。
大人の人たちに混じって、小五の私が、けっこう台詞が多い、歌を歌う役だったんですよ。
それで、「ミュージカル、楽しいーっ!」ってなりまして。
結局、高校二年生まで続けました。

そんな中、14歳のときに、ASAKITAで『劇団四季のCATSを観に行きませんか』という案内をもらって、たまたま行ったんですよ。そうしたら、もう、ドカン!と落ちまして。
何に感動したかっていうと、とにかく、楽しそうっていうのがまず…。いいなあって。キラキラ輝いてる!っていうことと、やっぱり私は一番、「そこに立ちたいな」と思ったんです。「私があの役をやったら……」って。
で、家に帰ったら大きなガラス窓があるんですけど、それ、夜になって外が暗くなったら、鏡になるわけですよ。そこに映して、こう、猫になったつもりで(猫のポーズ)、CATSの曲を流して。それを、うちの兄が「もう、頭がおかしくなるからやめてくれ!」って云うくらいに、ずーっと、歌って踊ってた。
…っていうのが始まりですね、私は。
小林
(高野さんに比べたら自分は)不純な動機…。

(一同笑)
───広島の音楽学校というのは、普通の高校に音楽科が?
高野
いえ、音楽をおもにやる学校ですね。楽器科、声楽科…、そこに、わたしがたまたま中三の冬受験するときにミュージカル科というのが出来て、運命のように入りましたね。
───音楽座のミュージカルは、オーディションを受ける前にご覧になっていたんですか。
高野
観てないんですよ(笑)。
私、本当に、短い間だったんですけど色んなことがありまして……。

中二で劇団四季を好きになって、音楽高校がたまたま出来たから入って、高二のときにミュージックシアターASAKITAで、私は「くるみ割り人形」のクララ…女の子の役をやって、男の子・王子役を、女の子がやることになったんです。
それで先生が、女の子が男役をやるにあたって、宝塚が参考になるんじゃないかとおっしゃって、ビデオを借りたんです。で、別に私は見なくてもいいのに(笑)、その子と一緒に見て「……ステキーッ!」っていうので、もう、宝塚の虜になって。
それで、高二で宝塚を受けまして、ダメだったんです。一次試験ですぐに。
一回受けて「ああ、全然あたしダメだ。」って感じて、この一年本気でやらないと、高三までがラストチャンスなので、あと一回しかない…ってことで、高校を中退して、通信の学校に行きながらバイトとレッスン。
昼はバイトして夜はレッスン、ていう生活を一年間やって、また三月に受けたんですよね。
結局、最終までは残ったんですけど、だめで…。
他の子は、ダメだったときのことを考えて、大学を受けてる子が多かったんですけど、私はそういうことすると…なんか…打ちこめないし、自分で逃げ場を作っちゃいけない、と思って。だから、これ一本で、絶対受かるんだってやった。……で、結局、だめだった。
「ああ、もう人生終わりだ。」ぐらいに、本当に落ち込んでしまって。

そんなときに、すごい、縁なんですけど、広島で新妻聖子さんという方のコンサートが行われることになって、広島音楽高校の先生が、私が新妻さんをすごい好きだっていうのをご存知で
「高野さん、バックダンサーとコーラスで音高の生徒も出るから一緒に出ようよ!」って云ってくださって。
「え!?いいんですかー!!」って。
「先生、いいんですか!?じゃあ、やりますやります!!」という感じで、もう、すぐに行って。

そしたら、本番の前日に新妻さんがいらっしゃって、リハーサルのとき、新妻さん…あこがれの新妻さんが、いるわけですよ!目の前に!!で、私はもう、どうやってアピールしようかっていうところで(笑)、超はりきって(とびきりの笑顔でダンスの動作)やってたんですよ。
そしたら新妻さんが、リハーサルの終わりぎわにタタタッて駆け寄って来てくれて、
「あなた、輝いてたわよ!」って……云ってくれたんです!
もう、イエーイ!!よっしゃあぁー!!みたいになって、本当…手って震えるんだ、って思うぐらいワアアアッって震えて、あああああありがとうございます私新妻さんの大ファンでどうでこうでってお話して。

そこで「『あたし、夢ひとつ見つけた!』」って。佳代じゃないですけど…。
これだ!新妻さんになる!!って、思ったんですよその時に。
夢がなかったんですけど、その時に。
で、絶対新妻さんになるんだ、って思って新妻さんのプロフィールを見たところ、「音楽座ミュージカルで…主役をして…賞をとる…」とありまして、「21C:マドモアゼルモーツァルト」と書いてあったんです。
で、「音楽座」を調べるわけですよ。
そしたら……まさかのオーディションがあります。
石川
関西オーディションね。
高野
そう、そうなんです。
東京だったら、私ちょっと東京怖くて行けなかったんですけど、関西なら…神戸なら、宝塚があって、行っていたから、ちょっと先なら行けるって思って。
あと「『マドモアゼルモーツァルト』のオーディション」だったんですよ。もう、来た……!と思って。これは!!ということで、履歴書を書き(記入の動き)、送って(投函の動き)、今に至ります。
───本当に、記念すべき作品でのデビューだったんですね。
石川
関西オーディションは初めてだったので、どのくらい来るかなぁとかって云って、まあ、あんまり数も来ないだろうし、パパッと終わらして帰ろ!と思ってたんですけど。
高野
ヒドいです(笑)
石川
公演期間中に、劇場に一日だけ余裕があったので、そこで関西オーディションをやったんですよ。
書類審査通った人が、リハーサルして、歌って、踊って。
で、いつもだったら代表(相川レイ子氏)が入るんですけど、代表は大阪までは来なかったので、私と鈴木(鈴木均チーフプロデューサー)と高田(高田浩氏)っていう音楽監督、三人で審査をして。

「『マドモアゼルモーツァルト』やるって決めたけど、主役誰にする?」って云って。
…うーん…、いいや、考えるのやめよう!って。そのとき、高野菜々さんっていう子が出てきて歌いはじめてすぐ、みんなでつんつんって肘でつっつきあって「見つかってよかったね」って。もう、ほんのちょっと歌ったときに、みんな、
「あ。モーツァルトこの子だ。絶対だ。」って云って。それがご縁で。
高野
へぇー……!(驚)
───もし、東京オーディションしか開催されていなかったら高野さんは…
高野
うん、行ってないですね、絶対。
石川
本当、もう、不思議な偶然ですね。絶対に繋がってて…
高野
本当に!本当にそう思います!
宝塚って、すごく厳しいルールや基準が決まってて、だから(音楽座のオーディションは)、ちょっと気楽な感じだったんです。初めてのオーディションで、絶対受かるわけないって思ってたから、
もう、楽しもう!と。敵を知ろう!という感じで。
うわっ、みんなうまっ!歌うまっ!あの人、踊りうまっ!って、自分がすっごい楽しかったんですよ。
あー、楽しかったー!よっしゃー広島帰ろー!って思ったら、ちょっといーい?(手招き)って…
「えっ?私ですか?」みたいな感じで。なんか、ほんとにもう…!
絶対受かるわけないって思ってたからこそ楽しめたし、あれがもし、本命…宝塚だって思ってたら、きっとガッチガチで「コッ…コウノナナデス」ってなってたと思うんです。
石川
もう、にこやかで、明るくて。
高野
そう、伸びやかに(笑)。
えー?歌聴いてくれるんですか?ありがとうございますー!!という気持ちで、
ミュージカル「アニー」の「トゥモロー」を歌ったんです。
だから、本当、いろんなご縁が…。はい。

(インタビュー中編につづく)


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