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旭川市民劇場
旭川市民劇場とは2012年上演作品・過去の上演作品入会のご案内事務局
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第回 [PR](2024.03.29)


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第3回 高野菜々さん・小林啓也さんインタビュー(後編)(2012.03.13)




2012年2月例会「シャボン玉とんだ宇宙(ソラ)までとんだ」主演・[折口佳代]役の高野菜々さんと[三浦悠介]役の小林啓也さんへのインタビュー。チーフプロデューサーである石川聖子さんも同席してくださいました。

迷路とケンタウルス 表裏一体の世界

喫茶ケンタウルス
よく見ると水色の内壁には白い線で星座の絵が描いてある。1988年当時、世はバンドブーム。ガールズバンドのメンバーらしき人々やおさげの女学生、春江(マスターの奥さん)のひらひらのエプロンなど、人々の服装も懐かしい雰囲気。

───「シャボン玉…」では、舞台である1988年当時の、衣裳や小物を再現していますよね。
今見ると、ちょっと懐かしかったり、かわいらしかったりする。
高野
レトロな感じ。
小林
レトロって(笑)
佳代の衣裳
一幕の佳代の服装は、白と黒だけのシンプルな色使い。小さなシャボン玉(のもと)を思わせるような水玉。
二幕の鮮やかなピンクのスカートと併せて見ると、悠介と出会うまでの佳代にとって、この世がモノクロームのような彩りのない世界だったことの象徴にも見える。
ケンタウルス及び迷路のセット
水色の面が、喫茶ケンタウルスの内装、および、悠介と佳代の新居の内装。
反対側の、色とりどりの模様のある面が、迷路の外壁となる。
───中でも佳代の衣裳は、すごく独特ですよね。ストライプに水玉。
高野
そうなんです。でも今、ストライプと水玉が流行ってるらしくて。
ある意味、最新なんですよ!(ちょっと誇らしげ)
小林
15年・20年周期で流行のデザインがめぐるっていう説はあるよね。
高野
自分としては、佳代の衣裳が今までやった中で一番しっくり来るんです。あの水玉とボーダーを着ると、なんか…なじむというか、ストーンと自分に落ちてくる。そんなに派手じゃないんですけどね。
石川
あれね、一番最初にプランナーの方に、佳代のイメージをしゃべったときに、絵を描いてくださった。そのデザインをずっと使ってるんです。
高野
へぇ!…でも、スリなのに、めっちゃ目立ちますよね(笑)。
石川
そういう意味ではね(笑)。
───小林さんはいかがでしょう。お気に入りの装置や衣裳などは。
小林
お気に入り…そうですね…
ケンタウルスのコの字型のパネルが裏表で使えるっていうのは、シンプルイズベストだと思いますね。人の力で、これだけできるっていうのは。(迷路のあの複雑で多彩な動きは、実は、中に人が入ってキャスターで動かしている。)

僕の考えなんですが、舞台って、ある程度の装置はありますけど、でも全部リアルかっていったらそうではないじゃないですか。もしそうしようとしたら、必要なもの全部全部用意しないといけなくなっちゃう。ある程度のレベルにモノを抑えて、それ以上の部分はお客さんと僕たちが想像してやるっていうのは、シンプルでいいな、って。
あとは僕たちが、その空間をどれだけ表現できるかだから。

全部リアルなのも、それはそれでいいと思うんですが、そうすると「じゃあ別に舞台じゃなくていいんじゃないかな」って感じがする。
かといって、真っ黒な舞台で、全てを想像でっていうのは、それもどうかなぁと……。だから、僕は、あの迷路の装置はちょうどいいな、って。

高野
迷路とケンタウルスが裏表になっているということには、装置の節約ということ以外に、意味もあるんです。
ケンタウルスっていう喫茶店が「日常」の世界で、遊園地の迷路は、人の深層心理で……
石川
「非日常」、宇宙に繋がる場所として、迷路がある。佳代自身の心象風景も全部迷路で表現しますし、
そういう意味では、心の内側と外側とを一枚のパネルで表している…っていう意味でも使ってるんですよね。
単なる「舞台装置」としては使わないで、どれくらいイメージを・世界観の意味を持たせるかっていうのは、すごく重要だと思う。

「挑戦すること」「ひとりじゃない」
───「シャボン玉とんだ宇宙までとんだ」のポスターは、グラフィックデザイナーの佐藤晃一さんが、脚本が完成するより前に、お話のイメージから作り上げたものだと伺っています。色々な解釈ができる絵だと感じますが、お二人はこの絵をどのようにご覧になりますか。
小林
僕、個人的にこの中で好きなのは、
これ(黒い手形の指先から青色・緑色のオーラのようなものが出ている部分を指し示す)が、
ちょっと伸びてるじゃないですか。これが好きなんです。
この、手の場所(黒い部分)だけでとどまってない感じがいいんですよ。
具体的に何かはわからないけど、この掌全体から溢れ出るようなものがある。
と、僕は解釈……というか、感じるんですよね。

ポスター画像
グラフィックデザイナー・佐藤晃一氏による「掌の中の宇宙」のデザイン。「シャボン玉…」の脚本が完成するより早く、佐藤氏が作品イメージから描き上げた。
原画はアメリカのニューヨーク近代美術館(MOMA)の永久所蔵品。
高野
今回、「シャボン玉…」の稽古場に貼ってあるテーマで
「生きることは挑戦すること」って書いてあるんですよ。
私は、この絵からすごく、それを感じます。

生命って、最初は海の中で生まれて、水の中にいたものが、ある日陸に上がって来た。それは、生きるために、本能的に上がって来た。
何十億年もまえに、命というものが生まれたときから、
命には「挑戦する」という意志が、あらかじめ入っているんだ、と。
だから「ある人が『挑戦しない』って思っているとしたら、それは自分自身が決めていることなんだ」っていうお話があったとき、なるほどなぁ…と思ったんです。

私、この三年間…本当に、色々悩んだりもしたんですけど、でも、そこで「挑戦しない」っていうふうにしていたのは、結局自分自身だったんだな、と改めて気づいて。
これを見たときに、「自分の中に宇宙がある」って思ったら……本当に、天井無しなんだ、どこまでも行けるんだ、って思ったんです。
だから、この作品が持ってる力は無限大だと思う。生きるということは、日々「挑戦すること」なんだ、って感じますね。
小林
……僕、云うことなくなっちゃうんですけど(笑)

僕は、この手は「みんなの手」なんじゃないかと思っています。
カンパニーの中だけに限らず、共通認識っていうことはものすごく大事にしてて、だからこれも「みんなの手」…観てくださった人、芝居にかかわってる人、全員の手。
もし、僕たちがなにかを伝えられて、観る人がなにかを感じ取ってくれて、更にその、観る人がなにかを感じてくれた、ということを僕たちが感じられたら、きっとステキだなって。
だって、ただただ別個の人間っていうことでなく、もし、この世界で僕たちが、繋がった存在・同一のものであるんだったら、けっこう気が楽になる…というか、「一人で抱え込まなくってもいいんだ」って思えちゃう。

日常で、身近な人たちや知らない人と関わるとか、自分から何かするとか、(「シャボン玉…」が)そういうきっかけになれば一番…すごく。そしたら、もっと…もっともっと、世界は広がるのかなって。
本当にひとつひとつ積み重ねて、気づいたり、苦しんだりしたことが、全部、この中(自分の掌を示して)に詰まってる。この中で繋がってる。……のかな。そう、なのかもしれないな、と思います。



今、ここにあること。
───では、最後になります。
地球人とラス星人が一緒に歌う劇中歌「いつの日にか」に
「果てしなく広い宇宙の中で あなたと出会えたことが全て」という歌詞がありますが、
高野さんと小林さんにとって、そういうものは。
高野さん・小林さん
自分の「掌の中の宇宙」を見つめる高野さんと小林さん
高野
さっきまでのお話全部…ですね(笑)。
音楽座に出会えたっていうのは奇跡だなって思うし、だからこそ、全てに感謝っていうか、今、ここにあることっていうのはもしかしたらなかったかもしれない…って。こうやってお話することもそうですし、舞台が出来るということも、本当、夢のようなので、毎日……
感謝の心を忘れずにいたい、という感じです。
小林
(高野さんをじっと見つめ深く頷いて)……同じですよ。

(一同笑)
小林
本当、親からもらったものもそうですけれど、きっと色んなことが、偶然出来たものだなって。
それがまた偶然、偶然…って繋がっていって、偶然なんだけど、まるでなにか必然のようになっている。偶然の連続なんだけど、実はなにか、誰かのちょっとした、みんなのちょっとした積み重ねなんだと思います。
僕は、さっきも云ったのですがテレビっ子で、アニメなんかも好きなんですけど、あるアニメ(荒川弘氏の漫画「鋼の錬金術師」を原作とした同題アニメ)の中に「一は全、全は一」っていう台詞があるんですよ。
本当に、同じだと思うんです。
自分は、これ(目の前に手で大きな空間を描く)だし、これ(宇宙)はこれ(自分の胸に手を置く)。シンプルに、自分と世界とっていうのは、繋がっているんだと思いますね。
───本日はどうもありがとうございました。


(取材:2012年2月20日旭川市民文化会館 インタビュー構成:淺井)


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